サヴォワはスイス、イタリアと国境を接するローヌ・アルプ地方にあります。そのサヴォワ地方を起源とする別立てのビスキュイです。フランスでも長いこと共立てが主流だったことを考えると14世紀の地方菓子としては極めて斬新な製法のお菓子でした。
 ビスキュイ・ド・サヴォワ誕生のいきさつは1358年のサヴォワ地方の都市シャンベリーの宮廷に遡ります。サヴォワは多くの強国と国境を接し、サヴォワの伯爵は巧みな外交で代々領土を増やしていました。伯爵アメデ6世は食道楽で極度の肥満に苦しんでいましたが、この日も、宗主である神聖ローマ帝国の皇帝、ルクセンブルクのカール4世を晩餐に招きました。カール4世に感謝の意を表すため伯爵は料理人たちに命じて小さな料理を大きな皿で作って歓待し、伯爵を公爵に格上げしてくれることを画策していました。晩餐で、羽のように軽いフワフワの“ガトー・ド・ザヴォワ”を食べた皇帝はいたくお喜びになり、シャンベリーの滞在を延ばしました。アメデ6世は食事のたびにデザートでもてなして、自分を公爵にしてくれるようアピールしましたが、残念ながらアメデ6世は公爵になれませんでした。公爵を名乗ることができたのは孫のアメデ8世の時でアメデ8世もやはり若い時から美食家でした。アメデ8世の料理人は通称タイユヴァンとして後世に名を残したといいます。
 ビスキュイ・ド・サヴォワを好んだもう1人の人物はサド侯爵です。1788年バスティーユ監獄に入れられたサド侯爵は、夫人のルネ・ペラジーにビスキュイ・ド・サヴォワを届けさせ、夕方5時のお茶の時間にこのケーキを運ばせたと言います。1783年の手紙では「パレ・ロワイヤルで売っている2ダースのムラングと2ダースのレモン入りビスケット」を送ってくれるよう頼んでいます。1779年の手紙では「スポンジ・ケーキは私が要求したものと違う。第一に、私はビスケットのそれと同じ砂糖の衣が、上にも下にも、まわり中についているやつを要求したのだ。第二に、私は中にチョコレートがはいっているやつを要求したのだ。チョコレートはほんのちょっぴりもありやしない。植物の汁で光らせてはあるが、チョコレートと言えるようなものは、それこそ、ほんのちょっぴりも使ってない。今度送ってくれる時は、そういうやつを作らせ、誰か信用の置ける者に、中にチョコレートが入っているかどうかをしらべさせるようにしてほしい。スポンジ・ケーキは板チョコを噛んだ時のように、ぷんとチョコレートの匂いがしなければいけないのだ」と、獄中の病的な食欲の中で細部にわたって贅沢な要求をしています。
 14世紀のケーキは生地を厚い木の型に流して強火にさらさずに、静かに焼きました。独特のサヴォワ型で焼かれたビスキュイ・ド・サヴォワは現在では余り見かけないようですが、サヴォワのベニスと呼ばれる水の都アヌシーでは、クグロフ型やブリオシュ型で焼いたビスキュイ・ド・サヴォワが売られています。プティ・ガトーやアントルメにはテンパンに流して焼いたビスキュイ・ド・サヴォワがしばしば利用されます。

参考文献:「ラルース料理百科事典」(三洋出版貿易株式会社)
「お菓子の歴史」マグロンヌ・トゥーサン=サマ著 吉田春美訳(河出書房新社)
「サド侯爵の手紙」 澁澤龍彦著(筑摩書房)

| アーカイブ |